沖縄のやさしい空 9月14日 強制・束縛・世界の行き詰まり

Aさんからお便りが来ました。

●まゆみさんへ

一つ一つ丁寧にご回答いただきましてありがとうございます。
今回、人にイメージを伝えることの難しさを実感しました。

はてどうしたものか?と昨晩考えていたところ、
ふと、あるイメージが心に浮かび、「私の伝えたかったのはこれだったんだ」
と思いました。

それは、丘の上に生えている一本の柳の木です。
とても強い風が吹いています。
他の木々は、風に負けないように一生懸命抵抗していますが、
柳は、さらさらと風に身を任せながら、折れることなくしっかり立っています。

むしろ、風を楽しんでいるようにも見えます。
やわらかい葉がきらきら輝いています。


★Aさんへ まゆみです。

とってもいい例えの物語を送ってくれて嬉しいです。

でも残念ながら、先日の議論とメールの内容では、上の言葉は読み取れませんね。
また新たに沸いてきたものなのかな?と思えました。

上の物語は素敵です。
でも、私が人からコントロールされたくないと言うのは、上の物語とは違います。
強制や束縛は、一本の柳に吹く強い風のことではありません。

この物語にあるような”風”には抵抗しません。過去にも未来にも。
Aさんが私ともっと親しかったら、私が誰よりも”風”を受け入れて生きてきたのが、
わかると思いますよ。

”風”は、誰かを拘束したり、束縛するものではありません。

私が柳の木だとしたら、私を強制・束縛するのもは、
強い風から守ってやろうとする囲いだったり、化学肥料だったり、
農薬だったり、枝の剪定だったり、樹を切ることです。

もちろん、私がまた去年体験したような強烈な自由になれれば、
囲いや農薬や枝の剪定・・・・・全てを受け入れることが出来るかもしれません。

頭ではわかりますが、こころは嫌だと言ってます。
この先どうなるかわからないけど、今は嫌です。

一本の柳の木の物語を送ってきてくれたおかげで、
分りやすく説明できたように思えます。
先日も言いましたが、誰かと議論するとなにか発見があるので好きです。

先程のお便りにもありましたが、
私が感じる強制や束縛は暴力なのです。
私が言いたかったことはこれなんだ!って思いました。
だから、世界は変わらないんですよ。そのとおりです。

以前にも書きましたが、
ひとつひとつの生命はみな違います。
全ての生命は、自分を表現する為に、完璧な命を生きる為に生まれてきたのですから、
それをとやかく言う権利は誰にもないのです。

強い風に吹かれている木が心配で、農薬や化学肥料を与えれば生命は歪んでしまいます。
しかし、強い風に逆らっている木が折れそうなときは、さすがに命に関わることなので、
ちょっとアドバイスがあってもいいかもしれませんね。
それでも木が嫌だというのなら、放っておくしかないでしょうね。
ひとりの力は偉大だから・・・・・


以前、”世界の行き詰まりの大きな原因”を夢で体験したのですが、
ぶっ飛びすぎてまだ皆さんに話せません。
誰もが、あっと驚くでしょう!
いずれ時期が来たら。



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