沖縄のやさしい空 9月13日 自由とは!

まず以下を読んでください。
去年、6月5日に友人たちに送ったメールです。

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Sent: Thursday, June 05, 2003 3:31 PM
Subject: 強烈な目覚めです

今まで自分がどんなに自由でなかったか、ようやく分りました。
今、、ものすごいスピードで自由と言う言葉の姿がはっきりと見えてます。
強烈な、久し振りの目覚めです。
あらゆることが、夢の体験ではなく、今、ここに現実にリアリティとして見えています。
嬉しくて涙が溢れて仕方がないです。

藤井さんと友人たちに有難うとごめんなさいを捧げます。

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去年、体験した自由への目覚めです。
一時期、『世界は単なる映像のように、劇場のように見えていた』こともあり退屈でした。
しかし、強烈な自由への目覚めを体験した後は、
目に映る世界はどれもが新鮮で、
すれ違うひと全てが愛しくて、
嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

あの体験を言葉で表わすことは出来ません。
無理に言葉で表わそうとすると、歪んでしまうからです。

たとえば、レモンといえば大体の人はレモンを想像できますが、
自由といえば、何を想像するでしょうか?
言葉の意味が深ければ深いほど、感じ方もさまざまで、伝えるのに困難を要します。

私は子供の頃から束縛されるのが大嫌いでした。
田舎で、溢れるほどの両親の愛情で、育ったせいもあり、
本当に天真爛漫に生きてきました。毎日が天国のようでした。

でも社会に出ると、そうはいきません。
それでも、頑固に”自分”を大切に生きてきました。
もちろん、社会生活を送るわけですから、何かしらの制限はあります。
私は見かけとは違い、かなり地域の人と上手く付き合っています。
そうでなければ、先日のような街づくりの会合に参加しません。

私が言ってる自由とは、なんでも好きにやりたい事をやると言う意味ではありません。
Aさんが使われている自由とはまったく別のものかもしれません。

私が感じる自由は、超越しています。
完璧に解放されています。

でも、あんなに強烈な自由の目覚めを体験しても、長続きしないのです。
今はあの時より不自由を感じています。
いつものように、色んな出来事に遭遇するからです。
私の場合は、人との出会いが多いのでなお更です。
山の中でひとりで暮らさない限り無理でしょう。
でも、あの体験を日常的なことでかき消されることこそ、
3次元の地球に生まれてきて学ぶことなのかなと思っています。

私が『完璧に自由でありたい』と言う時、
私個人が言ってるのか、集合無意識から言ってるのかわかりません。
人類を代表して言ってるようにも感じます。
深遠なる淵からの叫びでもあるように感じます。

とにかく、この”深いところからの真の声”を大切にしたいのです。


質問への答え、
@多くの人が関わっていたでしょうか?
もし関わっていたとしても、「私は自由だ、他人の束縛は受けない」ということは全く可能です。
Aアメリカと私が同じ?言ってる意味がわかりません。
B鏡の使い方、間違っているように思います。
〇〇さんが私を鏡にしているのです。もう一度よく考えてみてください。
わからなければ次の配信で書きます。
”鏡としてみる”、この言葉流行しているようですが、使い方を間違えるととんでもないことになります。
それに、なんでもかんでも鏡として考えると、これもおかしな方向に行きます。
ヒントをひとつ、
〇〇さんとAさんは、どうして私にああしろこうするなと言いたいのですか?
何がそうさせるのでしょうか?
どこから来ているのでしょうか?
この出所を考えてみたほうがいいでしょうね。
Cこれを私は自由とは言いません。お互いの言葉の使い方が大きく違います。
D・・・・・・
E同じ目標があれば、同じ熱意が必要です。
熱意が違えば、やり方が違えば、考え方が違えば、各々のやり方でやればいいと思っています。
考えかたを、やり方を、同じにする必要はありません。
そこを無理に同じにしようとするからおかしくなるのです。
F私は好きではない、それだけです。
組織はピラミッド型です。このピラミッド型のコントロールが好きになれません。
それが好きな人はそれで良いでしょう。
ここに書かれてある、同じ方向とはどの方向でしょうか?
G組織が恐怖を助長しているように見えるのですが。
ちょっと意味がわかりません。
H同感です。



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