沖縄のやさしい空 8月4日 宗教と神
宗教って
路上に咲いている花を見つけたとき、
思わず手を合わせるようなものだと、
昔からそう思っています。
宇宙から地球を眺めたとき、
同じモノをみて、
違うものだと誤解し、させられ、
人は争っている
見る方向が違うだけ、
立っている場所が違うだけ、
神の定義にもよりますが、
間違いなく多神教のほうが
争いは起きない。
人の考えがバラバラなように、
神もたくさんあって当然。
考えを同じにする必要はありません。
同じにしようとすると、比較、羨望、嫉妬、恐怖、争い、
が起きます。
もちろん、無宗教だって非難される必要はありません。
考えを同じにすること、
神をひとつにすること、
これは根が深く、
人類発祥まで遡ります。
いわゆる世界中で、神、神々と呼ばれている存在、
私は他の星から来た人?だと思っています。
彼らの”感情”を考えないことには前に進まない。
その場で停滞してしまいます。
聖書を初めとした、
人間に対するいちばん厄介な恐怖の刷り込みがあるからです。
聖書をまともに読んだことがないので詳しいことは言えませんが、
聖書に書かれている神は、とっても人間っぽく、ひどいこともするらしい。
神だと思うから納得できないことでも、異星人だと思えば納得できます。
神は、自分の姿に似せて人間を創造した、という話も、
異星人が自分に似せて人間を遺伝子組み替えで創った、
という考えのほうが納得できるからです。
ニビル星?から地球に飛来してきたといわれる、
異星人アヌンナキの息子二人の壮絶な争いをみていると、
そのまま世界中に散らばっている、神話の出来事とそっくりです。
インドの神話でも神々が争いをする場面が出てきますが、
どうして、神は争いするの?
神は争いなんてしないでしょう!
と、普通に納得できない。
純粋に、子供のように、おかしいことはおかしい!
と思ったほうがいい。
そんな彼らの血統を受け継いだといわれる私たち人間、
まさしく、今世界中で起きていること。
(面白いことに、ノーベル賞受賞者のフランシス・クリックは、
わたしたちのDNAは乗り物で運ばれてきた、と言ってます)
そろそろ、私たち人間、神、神々を根本的に考え直す時期、
思い出す時期、に来ているのではないでしょうか。
神は上から来た、
神は空から来た、
だから、人類は神というと、なぜか誰でも空を見上げる。
これはまさしく人類の記憶
遠い昔では、
今よりももっといろんな神を信じていた、
しかし、もっと昔に遡れば神はいなかった、
ただあるのは
大いなる意識だけ
その大いなる意識に、
私たちは向かっている
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