沖縄のやさしい空 6月1日 わたしは新種 『マユがみたもの』1880年にエドウィン・アボットが出版した『平面の国』を、 知っている方もいらっしゃるとは思いますが、それを元に。 自分のことを新種だと認識している私の体験を取り入れながら、 童話風に創作してみました。 せっかく創作したので、友人のお芝居の脚本に使うかもしれません。 みなさん、どうか頭を、やわらかく、やわらかく、 想像して読んでください。 『マユがみたもの』 ここに、東西南北だけの2次元の世界があります。 この世界の名前を、”ふう”と言います。 ”ふう”では上下というものは存在しません。 平面の国の生きものは線分(女性)と多角形(男性)と円(司祭)です。 ここには厳しい身分制度があります。 市民は辺と角の数で身分差別を受けるのです。 だから、辺と角の数が最も3角形は男性市民の中でも最下位になります。 そして、角を持たない女性は実質的には奴隷になるのです。 可哀想な女性。 すべては女性から生まれるというのに。ブツブツ・・・ブツブツ・・・ しかし、世代を経るにしたがって角の数を増やすことが出来るのです。 3角形の父親にも希望があるのです。 4角形の息子や5角形の孫や6角形の曾孫の生まれる可能性があり、 それが彼らの大きな希望になっているのです。 ・・・みなさん、これからは更にやわらかく、やわらかく。・・・ 『平面の国』の主人公は4角形です。 名前をマユ君と言います。 ある日、マユ君はは3次元の生きもの、球形に出会います。 球形さんは4角形のマユ君が完全に見えるのに、 マユ君には球形さんの姿がみえません。 4角形のマユ君は球形さんの姿が小さな点にしか見えないのです。 困った球形さんはどうしても自分の姿を見て欲しくて、考えました。 そうだ、自分の切断面を見せればいいんだ! 球計さんは自分の体を切断していきました。 すると、ただの点だったものが次第に大きくなって円になり、 その円がまたさらに大きな円にと、どんどん大きくなってきます。 しかし、マユ君はこの過程(切断)の全てを見ることは出来ません。 自分が存在する世界の次元制約の為、 平面の展開だけしか見ることが出来ないのです。 その時、マユ君は思いました。 ”僕、見たいなあ。” ”誰か、僕を持ち上げてくれないかなあ。” マユ君は、そのうち深い深い眠りの海に沈んでいきました。 いつしか、マユ君を好きになった3次元の球体さんは、 ついに、『平面の国』の表面からマユ君を持ち上げました。 生まれて始めての3次元の世界が、今、マユ君の目の前に。 マユ君は驚愕の世界を知ることになったのです。 嬉しくて嬉しくて、 きれいできれいで、 涙が溢れて、 震えが止まらなくて。 早くみんなにも伝えたくて、 みんなと喜びを分かちあいたくて、 本当は3次元の国にずっと留まりたかったけれど、 『平面の国』、”ふう”に戻ってくることに決めました。 『平面の国』、”ふう”に戻ってきたマユ君はこの体験を広めようとしたのですが、 行く先々で大きな抵抗に遭遇します。 でも、マユ君は負けません。 そのうち誹謗中傷の雨も降ってきましたが、 マユ君には、その濁った雨はきれいな雨に見えるようです。 マユ君はいつも遠くを見ているかのようです。 生まれながらの、楽天家で、のんきもののマユ君は、 「あんなに凄いリアリティの世界があるのに、もったいないなあ」 「僕は、変な人に思われようが、嫌われてようが、全然、気にしないよ」 「僕はね。ただ、言いたいだけなんだよ」 「だって、僕は僕の命を生きてるだけだもん」 「いつかは僕に世界も追いついてくるだろうし」 「まあ、いいか、わからなくても、死ぬ時にはわかるだろうからね」 と言いながら、 マユ君は凝りもせず、 今日もまた不思議なものがたりを、 きっと、きっと、誰かに話していることでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おわり・・・・・・・・・・・・・ アボットの本では、抵抗に遭った4角形は社会の最下位層民になり、 3次元を体験した人間だけにしか理解できないとあきらめるのです。 アボットの話は人間がいかに多次元を知ることが難しいかを示すたとえ話です。 3次元の世界に閉じ込められているので、わたし達が4次元の世界を想像することは 難しい。でも、アインシュタインの理論は想像しなさい、と言ってます。 1965年出版のダイオニス・バーガーの書いた『球面の国』は、 アボットの説を更に社会的で科学的な風刺へと世界を広げているそうです。 『球面の国』では、4角形の孫である6角形が主人公で、自分たちの誤りを認めて、 4角形が広めようとした3次元を受け入れるようになっている。 時空に関するパラダイムの転換は、大規模な社会変革を起こすことになった。 次回は球面の国を少し。 |