沖縄のやさしい空 3月7日 人間の一番厄介な恐怖


お便りが来ました。
●・・・・・・今ここにきて、以前ほど人を助けようとする気持ちがない自分、人を信じられない自分、
人と距離をとろうとする自分に気づき、立ち止まっています。・・・・今では、知った顔の人がいても、
自らは挨拶せず、また、今まで友人として付き合ってきた相手に対して、こちらへの不義理や身勝手さを
感じると、何も言わずに自分からの連絡は一切絶ったり、自ら太い太い境界線を他人との間に引いて
しまっている自分がいます。人との付き合い方が悪いから心にしこりもつくっちゃうんだと思います。
人との付き合いとは一体なんでしょう。
人への恐怖心、疑う心をもたないようにするにはどうしたらよいでしょうか。
いつまでも進歩のない、ちっぽけな質問で申し訳ありませんが、
まゆみさんの思われることをきかせて頂けませんでしょうか。 

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どうして、ひとは助けようと思うのでしょうか?
これは、何処から出てきているのでしょうか?

誰かに誉められたい、誰かに認められたい、のけ者にされたくない、
そうしないと人から後ろ指をさされる・・・・・・
これらは、すべて”恐怖”から出てきています。

動機とは、元々不純なものだと思っています。
動くきっかけ、ですよね。
人に誉められたい、とか、何か理由があるはずです。
もしも、目の前で子供が車に轢かれそうになった時、
あなたはどうするでしょうか?
そのとき、ひとは自動的に手が出るのではないでしょうか?
これは、動機とはいえないものです。

人を信じられない。
信じると、又、裏切られるのでは?
自分が可愛い、可哀想、傷つきたくない・・・・
これらもすべて”恐怖”から出てきています。

人間の一番厄介な”恐怖”です。
病気になったらどうしよう、就職が出来なかったら、受験が失敗したら、
いい学校に入れなかったら、変な人に思われたら、お金がなくなったら、
人に嫌われたら、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
延々と限りなくつづくもの、それは、”恐怖”です。

一番の原因は、子供の頃から周囲の大人たちに、そうやって育てられたからです。
でも、大人たちはそれが子供にとって一番いいと思い、育てました。
その大人たちも、”恐怖”の被害者です。
その繰り返しが、今の私たちの世界です。

そうです。
そのことに気がついたら、そこから脱出するしかありません。
でも、大変難しいことです。

私にとって、明日という日は無いと思ってます。
何が起こるか解からないからです。
明日、ここにいるという確約は、私にはありません。
だから、明日のことを心配しません。
とりあえず、今、だけです。
ひとは、あるかどうか解からない明日という日に、逃げ込み、全てを引き伸ばしていきます。
希望という言葉は、今日を生きていない人が、今日やらなかったことを、明日に引き伸ばすことです。
何も確約がない明日という日に、逃避するのです。


私は、あなたを助けることは出来ません。
私は、あなたを導くことは出来ません。
でも、少しくらい、お手伝いは出来ます。

あなたは、あなた自身によって助けられ、導かれます。

1998年1月5日に書いたメッセージNo、3の中の<自信がある>を
もう一度読んでみて下さい。
片時も離れず、あなたを見守っているもうひとりのあなた、のことが書いてあります。

そこから始めて、まず、自分を信じてみましょう。
自分を信じれないのに、人を信じることは出来ません。
心から、自分自身を愛してやってください。
可愛がってあげてください。

2月11日のコンサートの詩の朗読をちょっと抜粋して贈ります。

きれいだから
きれいだから
きれいだから

透きとおった 天使のように
透きとおった 羽根のように

あなたたちは きれいだから
あなたたちは きれいだから 

忘れないで
忘れないで

あなたたちは 永遠に 光り輝 く美しい存在である ことを




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