沖縄のやさしい空 9月13日 上映会の波紋がこんな形で

今日はメール配信を2通送ります。
前回のメールで、ある人と議論をしたと書きましたが、その方を仮にAさんとしましょう。
内容を簡単に。
私が、「911の件は私に合わないから、もう関わりあいたくない」と言ったら、
Aさんは『それはまゆみさんのわがままだ』と言いました。
その後メール配信を送ったら、以下のお便りが来ました。
そのやりとりを掲載しますので、皆さんも考えてみてください。
携帯で読んでいる方はわかりにくいとは思いますがご了承ください。
わかりやすくするために番号をふります。


●まゆみさんへ 9月11日

> 去年の12月の迷惑メールの時にも書きましたが、覚えていらっしゃいますか?
> 『私は私です。私は永遠に完璧に自由でありたいと願います。』
> 『私は全てであり、そしてそのどれにも属さない』
> これが私の、根底に、基本に、あるものです。
> 非常に大切にしています。

> だから、この部分を潰されそうになると大きく抵抗します。

議論をした「ある人」です。
私も大切なことを発見しましたので、少し意見を述べさせていただきたいと思います。

上記のこと、とても素晴らしいと思います。
まゆみさんと話していて、「自由」「組織」について考えました。

@今回の沖縄での映画上映には多くの人が関わっています。
まゆみさんと〇〇さんの意見の違いも当然あると思います。
果たしてこのような状況で、「私は自由だ、他人の束縛は受けない」ということが可能でしょうか?

A下手をすると、単なるわがまま、アメリカの主張する「自由」と同じになってしまいます。

B「他人は自分を写す鏡」とよく言いますが、今回〇〇さんの指図に反発を感じたとすれば、
同じ要素が自分にもあることを気づかせてくれているとは考えられないでしょうか?

C「自分が他人を動かす自由」があれば、「他人から動かされるのを認める自由」もあるはずです。
本当に自由であるなら、コントロールすることも、コントロールしないで放っておくことも、相手
からのコントロールを受け入れることも、すべて自由自在にできるはずです。

D今回のことが、まゆみさんがもっと自由になれるきっかけを与えてくれたように思います。

E残念ながらこの3次元の宇宙では、身体がひとつしかなく、時間やお金の制約もあるので、
一人でできる以上の事を起こそうとすれば、多数の人が協力して同じ方向を向くことが
必要になりますし、そのためにはルールや制約も必要です。

F私は「組織」そのものは悪いものであるとは思いません。
一人一人が判断力を持って行動している限りは、大勢の人が同じ方向を向くこと自体、
危険なこととは思いません。

G今まで人間の作った「組織」がいつも破壊的な方向に行ってしまうのは、一人一人の中に
ある恐怖心が互いに相手を束縛して、暴走または堕落しまうことが原因だと思います。
会社の中でまかり通っている訳のわからない慣習とか、どこの会社にもありますよね。

Hまゆみさんも私も、理由あって3次元のこの時代・この場所に生まれてきました。
それに同意したかしていないかは別として、とにかく地球に来てしまいました。
物質宇宙の制約はとてもきついものがありますが、この世界が良い方向にうまく
進んでいく方法を私は考えて行きたいです。


★Aさんへ 9月12日

昨日のメールなのですが、
Aさんの言ってることがわかりません。
まるで、外国語のように。

メールだからかもしれませんが、
まったく伝わってこないのです。

たとえば自由についてですが、
去年、自由の大きな目覚めを体験したこともあり、
自由の言葉の意味がまったく違うこともあります。

鏡の使い方も違います。

組織の認識の違いもあります。

それについていちいちか書いていたら、
トンでも長い文章になるので書きませんが、
よければまたお会いして話しませんか?
いろんな考えを知りたければ、私の友人の同席も可能です。

一番重要なのは、
たとえば、私が、〇〇さんに、Aさんに、誰かに対して、
こうしろとか、ああするなとか、何かを言ったかと言うことです。

ここをよく考えてみてください。
そこにヒントが隠されていますよ。

追伸
さきほどの補足です。

〇〇さんは私にああしろ、こうするな、と言いました。

Aさんとの、昨日の議論、メールでは、
遠まわしにああしろこうするなと言ってるように思えるからです。

だけど私はそんなことは言ってない。
昨日も言いましたが、
私は、ただ、いやだと、
コントロールされたくないと、言ってるのです。
違う考え方、生き方を認めましょう、と言ってるだけです。

それではまた


●まゆみさんへ

まゆみさんの言いたいことがわかってきました。
私個人としては、まゆみさんとだいぶ認識が違うようです。
今度ゆっくりお話しましょう。

私は、「こうしろとか、ああするな」も時と場合によって必要だと考えています。



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